雑記 R011213

やるなら徹底的に、という言い回しがある。一方で、隗より始めよという言葉もある。

あとは、年季の入ったオタクという存在と、にわかファンという存在がいる。

 

どっちがいいとかではなくて、大事なのは心だと思う。大事なのは心って、小学生みたいな言い回しね。つまり、何を目標としているのかということ。

(目標というのはレンジの広い言葉だ。達成したいハードルという意味が社会的には強いと思う。でも、マト(的)の意味もある。私はついつい意味の比重を意図的にならしてしまう癖がある、ことになんとなく気づいている。レンジの広い言葉はその広さを活かした方がいいと思っている節がある。そういうのを他人にも押し付けていると人に伝わる言葉が話せなくなる。話がずれました。)(心もレンジの広い言葉だ。)

 

個人的には、上にあげた例ではともに前者の方がよく耳にするし、よりよい(強い)ものとして扱われていると感じている。でも、がむしゃらに計画もなくオールインするのは愚かだし、年季の入ったオタクでもただ歴が長いだけで最近はあまり入れ込んでいないような人よりは昨日電撃に打たれたようにファンになった人の方が熱量は高いだろう。

 

仕事や部活動なんかで方針を決めるとき、両極端の意見が出たらどちらかを採用しどちらかを捨てることになるだろう。実際にはどちらかを採るというよりはどちらかを捨てるという方に近いことが行われるのかな。また二人のオタクがいたとき解釈違いが発生していたらどちらに与するか考えなくてはいけない場面がある、、あるとは思いたくないが、、、あるかもしれない。ないか?

このような場合、どうやって決めればいいのだろうか? もっともらしさ、すなわち実現可能性だとか、理論的に正しいかということを、もちろん最大級に重要視したい。でも一番大事にしなくてはいけないことは、それじゃない気がする。何を目標としているかだ。

目標がずれていたら、計画を立てても、計画がトントン拍子にうまくいっても、しょうがない。意味がないとまでは言わないが、もう一度、当初の目標を達成するために別のアクションをとることになるだろう。それは成功とは言わないと思う。

前提としての問題認識が間違っていたら、激しいオタク論戦が繰り広げられたとしても、議題に対する解答は得られないだろう。まあそれはそれで楽しいオタクタイムになりそうだけどね。私はそういう解釈のコネコネが好きなタイプのオタク(建前は)。

 

目標がしっかりしていたら、その目標に向かって、一歩ずつでも進める方がいいんじゃないか。マイナスにさえならなければ、成績はプラスなんじゃないか。

 

……なんの話かというと、グレタ・トゥーンベリさんが電車に乗ってる写真になんか言って炎上しているのを見て思った話です。この手のボヤ騒ぎは、見ているだけで心が濁って、清涼な空気を吸いにどこかへ行きたくなる。から言及もしないのがベストなのだが……。(あんま関係ないけど、最近ははてブコメントを残さないようにすることを頑張っている)

そりゃあ環境保護の観点から言ったら、人間は4分の3くらい死に絶えた方がいいんだろう。でもみんな生きたいし、生き続けたいし、子供たちやそのまた子供たちを生かし続けたいから環境保護に取り組んでいるんだろう。

だったらできる一歩から踏み出すのがいいんじゃないの。車じゃなくて電車に乗ってる。十分じゃん。

 

なぜか環境保護については、ちょっとでもやってると偽善者扱いされたり、あーーーーこいつ環境保護とか言ってたのにペットボトルのお茶飲んでるーーーーとか私たちは原始時代には戻れないのよ……とか私一人頑張ったところで何も変わらない(から何もしないわよ)などと言われたりする傾向がある。と個人的には感じている。

やっぱりみんな徹底してやんなきゃって思う傾向があるんじゃないかな。逆に言えば、だからこそ「隗より始めよ」という言葉が存在している。特に、昨今は効率厨の時代と言うべきか、オールインすることが余計にもてはやされているような、そういう体感もある。どの分野でもすごく若いエキスパートが増えているし。

 

環境問題でも、どんなことでも、できる一歩を踏み出すことが、大事だと思うわよ。私は。

そんな日記です。