読書日記その2 『どこに転がっていくの、林檎ちゃん』

まだこの前買った本には全く手をつけられていないのだった。

www.chikumashobo.co.jp

これは積んであった本。はっきり言うけど古本を探して買いました。訳者あとがきに、『アンチ・クリストの誕生』が好評だったので出版できました、と買いてあって、申し訳ない気持ちになった。古本市場を涸らしたということでひとつお許しください。私からこの本を手放すことはないだろうと思うので。

私も『アンチ・クリストの誕生』を読んでレオ・ペルッツを知り、好きになった。そのあと『スウェーデンの騎士』を購入して読んでいる。他の本も少しずつ集めていきたいね。ほとんどが単行本で高いから、少しずつになってしまうけれど。

 

オーストリア陸軍少尉ヴィトーリンは、大戦中に捕虜収容所の司令官セリュコフに受けた屈辱が忘れられず、復讐のためロシアへと舞い戻った。革命後の混乱のなか、姿を消した仇敵を探して旅を続けるヴィトーリン。ロシアとヨーロッパを股にかけた壮大な追跡行の果てに彼を待っていたものとは…。

 全編を通して、語り口はコミカルだ。喜劇のように書かれている。と私は思った。軽快な語り口で、ユーモアも交えながら、ロシア革命中のヨーロッパを旅して回るヴィトーリンと、巻き添えになって死んでいく人たちや、居場所だったはずの場所の変わり果てた姿を描く。

 

面白いと思ったところ。ヴィトーリンがだんだんおかしくなっていく。

彼は本来まともな人だ。守るべき家族がいて、貞淑でヴィトーリンのことが大好きな彼女がいて、安定した職業を持っている上、未来に大成功するチャンスもちらついている。でも、憎しみにとらわれて、「セリュコフがモスクワにいるらしい」という不確かな情報だけを頼りに、全てを捨てて旅立ってしまった。

そこからはどんどんヴィトーリンがおかしくなっていく。

旅の序盤では、道連れや知り合った人が逮捕されたり、死んだりしていくことにけっこうショックを受けていた。中盤になると人が死んでも自分の逃げるチャンスができたとしか考えない……どころか、それすらも「そのことに頭を悩ます暇はなかった」と考えるのをやめる。

終盤で病気っぽくなって熱を出し始めてから、セリュコフの幻覚を見るようにもなる。現実と幻覚がリンクするところの描写は映像のようで一見の価値ありです。映画とかでよくある、幻覚がぼんやりして現実に入れ替わるみたいな効果が目に浮かぶ。この辺では自分の部下の兵士(紆余曲折あって部下の兵士がいるような立場にまでなるんだよなー)を手駒に使って、いもしないセリュコフを追い詰めようとする。

金を稼ぐ方法も、最初の方はわりと仕事っぽい仕事をしているが、日雇いになり、終盤では女のひもになって博打。そう、女のひもになったあたりで、明確に「あんた変わったよ」と思った。

あと、これは訳者あとがきにも書いてあったけど、ヴィトーリンの中で、だんだん、自分の敵でしかなかったはずのセリュコフが「人類の敵」になっていっている。 

 

最後は虚無。こういう虚無エンドの物語なぜかよく読むきがすゆ〜というか、私の心に残りがちなんだろうな。

虚無でありながらも、焼け野原の後に咲く一輪の花というか、少しだけ「これからはまともにがんばろう」的な希望があるところが、逆に虚無を引き立たせるよね。救いなどない。

 

・途中、夜の森の中、赤軍の目を逃れながら二人で移動するシーンは、なんとなく『スウェーデンの騎士』を思い出させたよ。

ロシア革命のこと、なんにもわからん。少し勉強しよう。というのは『アンチ・クリストの誕生』に入っていたたしか1本目の小説を読んだ時にも思った覚えがあるよ。

 ・「どこに転がっていくの、林檎ちゃん」は中盤以降主に歌詞として登場するフレーズ。この林檎ちゃんは明らかにヴィトーリンを暗に示している……と思う。それだからに終盤に訪れた田舎の村で引き出しから干からびた林檎が出てきたとき(どういう状況だよ……と思ったけどドライフルーツ作ってたのかな?)、ヴィトーリンもさぞ干からびてたんだろうなあ、と、彼の肖像がパッと引き出される感じ、小説のテクニックみたいなのを感じるよ。

・(干からびた林檎を出すことで、それまでちょっと忙しくて忘れていたヴィトーリンのビジュアルが再度脳内で提示され、その再提示されたとき、彼の疲れた姿に気づくよね。的な。説明が下手。。。)

 

追記

 

karasuandusagi.hatenablog.jp