子連れお出かけ 優しくされた思い出とか

子連れでスマホいじってると即「スマホばっかいじってんじゃねーよ」とこそこそ言われたとか……

 

抱っこ紐のベルトのバックルを外されたとか……

 

知らないおじさんおばさんがすごいきつく当たってくるとか……

 

そういう「子連れに優しくない社会」の話をよく聞く。私もう〜んもうちょっと動きやすくなるといいなあって思うことはある。

でも、ネットでそういうのが話題になるとき、けっこう中高年とママ世代の対立を煽るような言及がされていたり、バックルを外すのはたぶん知的障害者だから支援が必要なんじゃないかという障害者巻きこみ言及がされていたりするのが気になっていた。

ネット社会はそういうものかもしれない。対立構造がある方が話がしやすいから。

でも、私はこれまで、優しくされてきたときの方が多い。それも、特に中高年の人々が、男女を問わず親切にしてくれた。ネットに書かれて話題になるのはひどいことされた話ばかりだ。だから、ここに、優しくされた思い出をいくつか思い出せるだけ残しておきたいと思う。

神保町駅に自信おじさん

いま地下鉄神保町駅は工事中てけっこう構造がわかりにくくなっている。私は久しぶりに行って、しかもベビーカーを押していた。昔よく来ていたときは、地上に出るのが目的だったし、スタスタ歩いてどこにでも行けた。今回はベビーカーがあるのでエレベーターを探しつつ、乗り換えをしなくてはいけなかった。

工事の影響で構内図とエレベーターの位置が違った(ような気がした)。とりあえず地上に出るのもありだな〜と思っていると、目の前にエレベーターを発見。向かっていくと、ちょうど開いたエレベーターからおじさんが1人降りてきた。

エレベーターを開けておいてくれたおじさんは、どこに行くの? と聞いてきた。三田線に乗りたいことを伝えると、どのへんにエレベーターがあるかを含めた三田線ホームまでの道筋を教えてくれた。おかげで迷わずに三田線まで行くことができた。ありがとうございました。

それすごくいいわねおばあさん

銀座コアのユザワヤで生地を買った。ちょっと思っていたのにぴったりの生地がなくて理想に近いものを探していたり、レースの端切れやその他資材を物色していたらあかちゃんは疲れて寝てしまったのだ。抱っこ紐だったので、抱っこ紐のポケットからフードを出し、あかちゃんの顔にかぶせておいた。肩紐に止めるやつね。

帰りのエレベーターで乗り合わせたおばあさん、それを見て「それすごくいいわね」と話しかけてきた。「寝ているあかちゃんって首が後ろに倒れて、むちうちになっちゃうのよね。これはすごくいいわね」と(抱っこ紐を)褒めてくれた。昔はこういうフードがついていなかったのだろう。今もクロスタイプのとか、どう見てもついてないしな(軽く使うにはクロスタイプ便利そうだが)。

私もそれを聞いてこのフード大事なんだなあ、首痛いもんなあと改めて思ったのだった。ついでにおばあさんは「あかちゃんって顔もかわいいけど手足がむちむちでほんとうにかわいいのよね……」とあかちゃんの寝ている足をプニプニしていた。かわいいのよね〜。

ベビーカー運んでくれたおじさん

最寄駅で、下に降りるためのエレベーターが点検中だった。ベビーカーを押していた私は、やべーどっから降りるんだと思った。ら、別のエレベーターを発見。

私はいつも、駅の1階に降りて、さらに別のエレベーターで地下鉄の駅に降りるということをしている。点検中だったのは、駅の1階に降りるためのエレベーターだ。しかし、今回発見した別のエレベーターは、乗ったことないやつだったが、地下1階が地下鉄駅直通と書いてあった。ラッキーじゃん! と思い、私はそのまま1階ではなく地下1階まで降りたのだ。

するとエレベーターを降りた目の前が階段だった。でも、3段くらい。くだりだし。このくらいならベビーカーを抱っこして降りることができる。かついで降り、少し進んでいくと、今度は長い階段があった。のぼりだったような気がする……ここは覚えてない。下り→のぼりでなんでさがったんじゃ! と思ったような気がしないでもないから、のぼりだったような気がする……。

気合いを入れれば、行けないこともないんだけど、疲れるし、実際、危ない。危ないんだよ。自分を過信してはいけないよ。

それで、私は危ないので、引き返すことにした。ベビーカーのときは、よく知っている道を選ぼうと肝に銘じながら。

するとちょうど後ろからきたおじさんが、「持ちましょうか?」と声をかけてくれた。

私はお願いすることにした。私はあかちゃんを抱っこして、おじさんはベビーカーを持ってくれる。背広を脱いだスーツ姿で、仕事中だっただろうと思う。営業マンかな。忙しいだろう中、時間をさいてベビーカーを運んでくれたのだ。

たいへん助かりました。優しさにじーんときた。本当にありがとうございました。

つづく

あかちゃんが起きたのでここまで。

ほかにもいっぱいあります。また記録したいと思います。

 

図書館で地獄をピック 『湖』

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この前図書館でランダムピックしたうちの1冊。

 

端的に言って、内容は地獄。全てが衰退に向かっており、暴力が繰り返し描写される。主人公ナミは最初小さな男の子だけど、ある種の冒険の果てに、体は屈強だが薄汚れて眉間に皺の刻まれた、絶望に満ちた青年となる。ラストシーンにそんな容姿の描写はないけれどそれは必要がないからであって小説は慣性をうまく利用すると書いてないことも描写できる。すごいよな〜。

 

どこの国のどこの時代のことなのかはよくわからない。

私の教養不足かと思ったけど、訳者あとがきをみる限り、これは誰にもわからないみたいだ。駐留するロシア軍、大きな湖、社会主義の影、アラーを讃える人、髪を隠す女性、バクラヴァなどの食べ物、から広いユーラシア大陸の真ん中あたりのどこかなのかな、という雰囲気はなんとなくある。

 

とにかく小説がうまい。うますぎてこれが小説なんだなあと思わされる。

文章がすごい。描写はとてもシンプルだ。そして過去形ではなく現在形が主体になっている。一般的に現在形は断定的で、過去と未来のちょうど真ん中にあるわけではなく、未来の方により寄っている。だから予言者または預言者が書いた素朴で達観していて疑いのない文章群、聖書のような、神話のような、何かの教典のような趣。もくしろく。

そう、途中で暴動が起こるんですけどそのあとの街の描写とかはかなり黙示録的だ。黙示録って何か知らないけど。ゾンビーとかが大量発生した時に使うんだよね。でも別に戦争でもないし、みんな死ぬわけじゃないので、普通に人は生きている。人が生きていて街があっても終末を感じることはできる。

 

途中、女の子がひどい目に会うところがきつくて、しばらく読書の間があきました。

日本では作品のシビアさを証明する手段として作中で陵辱が行われることが多々あるなあと思っている。そしてそういうのは「ああ、はい、なるほどね」という感じで流すことを推奨されているように私のデリケートな肌感覚は言っているよ。そういう作品を避けたいので出版物のレーティングもしてほしい派だったりする(エゴエゴ)。

でも今回は流せなかった。これはこの作品どうこうというよりも、私がただ変化しているだけなのかもしれない。

 

話が激重なのに比して神がかり的小説パワーのためサクサク読めてしまう。可読性の話だけをするならばね。サクサク読める地獄ってなんだよ。でもそのせいで余計やるせないんだよね。ほんとすごいよ。小説の力を感じた。救いも何もないが幼馴染たちの末路だけがほんの少し希望ではあると思えなくもない。

 

読書体験としてはすごくすごいものだったので暴力とか地獄とかが大丈夫で優れた小説を読みたい人にはすごくおすすめします。

図書館でランダムピック『わたしも、昔は子どもでした。』

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突然、本屋に入り、本を買いたくなることがある。文庫本ではなくて、厚い本を買ってしまう。文庫本購買意欲わかない。私にとってはタピオカミルクティーがのみたいなとかそういう感じでうわ〜本買いたい〜となり、本屋に入って数千円使ってしまう。呪いですね。

そういうとき近くに図書館があると駆け込んで新着図書の棚から適当に持てるだけ持って出てくる。

それで今回はこの『わたしも、昔は子どもでした。』

 

社会派大人の見本帳みたいな本だった。

すごいな、この本は。なんの本だ? と思いながら読んだ。大人たちの思い出話の本。意外と嫌いじゃなかった。たわいない思い出話は聞きたくないという人が多いかもしれないが、私はどうでもいい話ほど聞きたい。その人がよく覚えている昔のことって、何か覚えている理由があったりする。それは意外と他人と共有できるものなんじゃないかと私は思う。

 

いろんな大人がいて、いろんな主義主張や、活動、発言、考え方、思想がある。だがその大人の人格に至るまでに色々な経験や出来事があった。香山リカ氏や津田大介氏、上野千鶴子氏、など一筋縄ではいかない感じの社会派大人たちが名を連ねているが、「わたしも、昔は子どもでした」というタイトルには、けっこうな深みがある。と思う。わかんない。思い出話や自分語りをするようになったら終わりという考え方の人もいるだろうし、そのへんは人それぞれで。

ただこの本を購入する人ってどこにいるのかはよくわかんないなと思いました。図書館とか向けな気がする。

 

 

 

香山リカ氏の思い出で、クラスの金魚鉢を壊しちゃったとき担任の先生に報告に行ったら、まず怪我がなかったか案じられて衝撃だった(母親だったら即怒ってくるから)というのがあった。

これは私もとても理解できる衝撃。というか、私は、自分が、こういう状況でまず人の心配をする能力が欠けているということに強いコンプレックスを持っていて、ちょっとした事故発生→怪我はないか気遣う! みたいなフローチャート? チェックシート? みたいなのを頭の中で付箋貼りしている。こんなことかくとマジモンのサイコパスみたいですね。

だから私がちょっともの壊したとかしたときに「大丈夫?」って最初に聞かれると、すごい負けた感があって、ちょっと反抗的になってしまうことがよくあるな〜〜〜自覚はしている。恥ずかしい大人ですね。

おわり。

メギド72  35-4トリニティブル 攻略メモとか

えーん! 強かったよお!

けっこう手こずったので攻略メモを残しておく。

 

敵編成

前列トリニティブル、後列ウォーロック2体。

トリニティブルは通常アタックも3連続攻撃。スキルも奥義もとにかく数で殴ってくる系で、攻撃力が高い。

ウォーロックは凍結攻撃が厄介。地味に硬い。

 

手持ちメギド

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マルファスはほとんど使ったことない!

レベル高い8人はこんな感じ! マルファスはレベリングパーティーに入れてたらなんかここまでレベル上がってしまった。オセもそんな感じでレベル上がった。

マルコシアスはこの上ない相棒、ガープは唯一の盾キャラ、あとはゼパル・グレモリーがよく前衛に入っている。ずっと回復はバルバトスが担っていたが、奥義じゃないと回復できないので、間に合わないことが多くて最近マルバスを育て始めた。今はマルバスの方が使っている。

あとはブエル・カスピエル・フルフルを中心にしたバースト編成を試してみたりしている。けど、育ってない。別にこの3人なんも相性よくないな。好きな、だけやで。範囲攻撃が。

 

負けパターン

ガープが1ターン目のスキルを発動する前に死んであとはもうめちゃくちゃ。

全然盾役になってくれなかった。盾をやるには防御力が低過ぎやしないか。なあ、息子よ。

 

勝ったときの編成

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マルから始まるメギド多い

マルコシアス(60)-ガープ(54)-マルバス(49)-ブエル(37)-バルバトス(55)

オーブは左から

・Rエリンギーグ(凍結が無効になる)

・SRケイブキーパー(発動で2ターン無敵! 重要)

・SR火吹きガメ(別になんでもいい)

・R帯電獣(発動で覚醒ゲージ+4。マルコ奥義連打用にと思って……)

・SRヒュブリーデ(列覚醒+1。後列みんなで奥義を連打したくて)

超防御編成で全員生存クリアー達成した。やり遂げた感あった〜ここそんな難易度高いステージなのかどうかは不明だが……

 

一言で言うと

マルコシアスをガープで守るためにガープを全力で守る。

 

ガープ1トップ編成+見切り回復

まず、前衛はガープひとりにすることで、ガープのスキル発動にフォトンを振る手間を省いた。敵はみんな前衛優先で攻撃してくるので、1トップ構成ならかばうスキルは不要だ。

これまでは、前衛にもう1人置くことで、ガープの生存率を高めていた。運頼みだけど、前衛のどちらを攻撃してくるかはランダムだし、1ターンの攻撃を全部ガープが受けると、簡単に死ぬので。スキルのかばうにくっついてるダメージ軽減とかは、実感したことがないですね。。。

したがって、1トップ構成だと確実にガープが死ぬので、マルバスに回復をしてもらうため、最優先で彼女にスキルフォトンを渡した。みんな素早さが足りなくて敵より速く行動できないので、敵の攻撃が一巡した後に程よく回復が行われる仕組み。

ガープに持たせたオーブ、ケイブキーパーは最強なので、使えるようになったら即使う。これでガープがなんともないぜって言ってくれる!

 

先にウォーロックを倒す

攻撃要員はマルコシアスだけなので、彼女が動けなくなると投了となる。ということでマルコシアスに凍結耐性を持たせた。が、前述の通りガープを守る→マルコシアスが守られるので、ガープを守る要であるマルバスに持たせてもよかったかもね……。

ウォーロックは奥義で全体に凍結攻撃を撃ってくるので、先に倒す方がいいと思う。とはいえけっこう硬い。でもここを耐えきるのが一番大事。

ということで、マルコシアスにチャージフォトンを渡し、なるべく早く覚醒スキルを撃つ。覚醒スキルの方がブエルのスキルを介して連打できるし、めまい付与で相手の攻撃の手を緩められるし、まとめてダメージ入れられるし、いいような気がして。

チャージフォトンが足りなければブエルのスキル後列覚醒+1も積極的に使っていく。ガープにスキルフォトンをあげなくていいのがかなり効いている。

 

バルバトスはそこにいるだけでいいんだ

吟遊詩人は立たせておくだけ。。。。。一応攻撃力はマルコの次にあるので悩んだらウォーロックに攻撃してもいい……。ブエルのスキルを挟んでいるので、割と常に覚醒ゲージが溜まっていて、マルバスの回復じゃ追いつかなそうなときに奥義で大回復してくれる。という安心感がある。

 

ボスはやわらかい

ウォーロックが片付いたら、引き続きガープは守りながら、マルコに奥義を撃ってもらうだけ! 私本性獣嵐如破壊力を数回撃てばボスは死ぬ。

 

結論

ガープは弱い。盾としてはとても弱い。でもみんなで守る。そうしたらガープも頑張って守ってくれる。泣けるわ。

盾を守ることによって後衛が守られるのなんか真理だ。

 

学び

陣形を守ることの大切さを学んだ。

あと、前衛に完全に受けを維持してもらうスタイルなら、後衛キャラはレベル低くても関係ないんだなって思った。

 

おわり。

読書日記その8『内臓とこころ』

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購入したのは6月25日。このとき買った2冊もようやく読み終わった。

 

それにしても、ぼんやり読んでしまったなあ。積読本が多いと「消化しなきゃ」という気持ちになって、ついページを進めることが内容の理解に先立ってしまう……傾向がある。私の場合。また、なかなか読書の時間がとれないこともあり、「今のうちに読めるところまで読まなきゃ」という気持ちもある。

1回通読した本は、内容をあまり理解していなくても、なんだか「2回目」という気持ちになってしまう。再読は苦手。これは私が中学生の頃から、通読した本をリストとしてノートに記録していたのが原因だと思っている。冊数を増やしたいという中身のない野望が私の中に生まれてくるからだ。救えないね。つまり、これも本質的には同じ。2回目はカウントに入らないから。

色々なことを知ったり考えたりしたいから、たくさん本を読みたいのに、たくさん本を読むことが目的になってしまうのは、本末転倒だ。純粋な読書の効果を取り戻すには時間と集中力の余裕が必要だと思っている。意志の力には頼れない。

……というのを、今回のメギド72イベストで本に没入し作者と対話しようとするベリト様を見て思ったのだった。

 

それは置いといて〜。

あと意志の力も大事だよ〜。

 

『内臓とこころ』は、解剖学者の故・三木成夫氏がさくら・さくらんぼ保育園で行った講演シリーズの文字起こしである。ということは本の紹介じみたテキストをいくら探してもわからない。頭から読めば一瞬でわかるけど。講演なので、語りかけられているかのような語り口。そして、すごく聴きやすく楽しい講演だったんだろうなあということが、読んでわかる。

 

「内臓感覚」や、人類発生と胎児発生の過程の類似=「再現」などについて語っている。解剖学者として胎児などの解剖を行ってきた経験と、(古い類型の)父親として子供の成長を(横から)見てきた経験をもとに語られる内容は、どれもこれも「しっくりくる」というか、「腑に落ちる」。内臓感覚というのは私は言葉にして説明できるほど理解していないが、その説明が不要な程度には理解している。この感じが内臓感覚なんですけど。言葉遊びみたいだけど、比較的面白い部類の言葉遊びだと私は思っている。

ただ、「情」と「理」って言い回しが一部界隈で流行ったけど、この本は圧倒的「情」の本なのだ。解剖学者としての知識や経験をもとに展開される持論というか、極端な言い回しをすれば空想を含んでいる。と思う。

だから全部内容を鵜呑みにしてへー! 明日学校で話してやろー! みたいなことはすべきではない。けど、したくなる「納得感」がある。これが「腑に落ちる」=はらわたでわかる=内臓感覚に訴えられるということなんだと思う。話がうまいっていう説もあるけど、そうじゃない。人をよ〜〜〜く観察している。生きている人も、標本のヒトも、人の営んできた行為の産物も。だからその感覚を知り尽くしているのだろうな〜。

 

古い類型の父であると上で書いたけれども、古い価値観は最近一瞬で燃えるよね。子育てには協力してこなかったというのはともかく、「牛乳で育てるのは牛を乳母にしているのと同じ、哺乳瓶育児はちょっと考え直して」や「女性はこういった(難しい)言葉は苦手でしょうが」という文言は今では燃えそう。

30年で時代は変わった。

 

子どもがいろんなものを口に入れてなめ回すようになり、指さしをしたり、簡単な言葉を発するようになったり、といった発達の過程を挙げ、人類の進化の過程と重ねている箇所がとても面白かった。

特に古い言葉は昔の人々が無から直感で生み出した発声により近い=原初の感覚に近いみたいなことが書いてあって、これはめちゃんこわかりみだわ〜と思った。

うちの子どもはまだ指さしもしない段階なので、もうちょっと大きいお子さんがいる方のほうがより実感を持って読めるかな〜と思った。

人類の進化の過程と重ねると、3歳児ごろが「エデンの園」にいた頃、考える人としてのホモ・サピエンスが発生した頃に相当するという説、めちゃ泣ける。3歳児の世界を迎える前にこの説知れてよかったな。エモーショナル。

 

ぼんやり読んじゃったから、ちゃんと読書日記つけないと、感じたわずかな思いもすぐ無になっちゃうなと思って、最後のほう雑だけど、書いた。

読んだ本が右から左に抜けていくような状態は怖い。学生の頃はそれでもよかった。濫読だったから、残滓がまだ頭の中に散らかっているうちに、次の本が来た。読書日記なんてつけている場合じゃなかったんだあの頃は。関連があってもなくても、いくつかの情報や考えは結びついて重みを増した。でも、最近は時間がすぐ過ぎていくから。刹那的な生き方のほうが得意だから、こういう足がかりを残すようなやり方は苦手だけど、やむをえない。時間を大事にしないといけない。

 

そういうわけで、ちゃんと読書日記はつけつつ、なるべく本は大事に読みつつ、できるだけたくさん本を読みたいね! 無理難題!

なんでなんでなん 雑記

togetter.com

 

「なんで」って聞くのはモラハラだよっていうのを読んで深く反省したことがあるんだけど私にも言いたいことがあって。

 

私は誰かに自分の意に沿わないことをされたとき、責める前に「なんで」って絶対聞くようにしている。理由もなく責められていいことって世の中では少数派だと思うから。理由が正当であれば責めなくていいし。対策も講じられるし。私は怒られるの大嫌いだから怒るのも嫌いで、そのために「なんで」って聞くようにしている。

 

でも「なんで」って聞くと「ごめんなさい」って言われることが多すぎる。私は「悪いことをしていないのに謝るべきではない」と返す。自分が悪いと思っていないのに謝るべきではないと思う。

 

昔いとこと一緒に親戚の家に泊まった時のことを思い出す。消灯後もトイレでこっそりゲームしようよと誘ういとこ。もう寝る時間だし、怒られるよ〜と私は止めたがいとこはゲームを敢行。一瞬でバレてた。なんか色々言われてたけどいとこはずっと「ごめんなさい」だけを繰り返していた。申しひらきは一切しないスタイルだったのだ。

 

大学生の頃飲食店でバイトをしていた。私は仕事をするセンスがなくて雑魚だったのでけっこうよく失敗もした。ていうか飲食店の仕事は難しい。今思うと雑魚すぎて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。で、なにか失敗したとき、反省して次の失敗をしないよう対策を講じていることを態度で表すために、こういう風にしちゃったので失敗しました、ということを言うのが普通だった。だからバイト先の先輩に口答えするなって言われてたんだな。というのをこのtogetter見て初めて気づいた。口答えってなんですか? そういうつもりはありません。とか普通に逆ギレしてたな。

 

世の中、怒る人が多いんだと思う。私は怒られるのは本当に嫌いです。私に非があって(悪意はなくて)失敗し迷惑をかけたんだとしても、怒られたら、私は抗議していいと思っている。悪意が明確ならいきなり怒っていい。そうでないのに怒られる筋合いはない。本当にそう思っている。どうしても難しいこととかできないことがある人もいる。そういうのも聞かなきゃわかんない。

怒ることのできる立場にいたとしても、まずは理由を聞くべきじゃない? それでナメてるのが原因だったら根性叩きなおせばいい。うざいかな? コミュニケーションだと思ってるんだけど、うざいかな? いきなり指図すればいいのかな?

 

結論だけど、「なんで」って聞くのがモラハラというのはちょっとひどい、「なんで」って聞かれたら怒られてるように思ってしまうように育て上げた奴らこそがモラハラでしょう。

ということでした。

 

英語でもLet's 〜! と同じ意味でWhy don't you〜? っていう言い回し習ったな。

漢文にも反語の言い回しあったしな。なんでも額面通りに受け取ってはいけない。

 

私は一応口調などから空気を読む力は最低限持ってると思うので、相手が怒るつもりで「なんで〜」って言ってきたらそれはわかると思う。怖かったら謝っちゃうかも。恫喝だ〜。

でも私はなんで? って聞くとき普通〜の口調で聞くよ。穏やかなのが逆に怖い〜とか言われたらもうわからんのだわ。

読書日記その7 『山に生きる人びと』

民俗学の随筆みたいなやつ。

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 買ったのは6月。

karasuandusagi.hatenablog.jp

 

読んでから時間が経ってしまっていてよくない。

やる気がなくなったので日記もてきとう。

 

民俗学者・山本常一が集めた話をまとめたもの。直接山で聞いたものもあるし、人づてに聞いたものもあるし、文献から集めたものもあるし、想像や仮説の域を出ないものもある。

重要なことはこの本から事実や知識を学ぼうとしないこと。この本から学ぶべきは今まで見落としてきた領域があるということ。知らなかった世界の存在を知ること。思考のための端緒を得ること。

 

私は都市部で育ってきた都会っ子(語弊あり)だからそもそも日本の昔ながらの暮らしのことはほとんど知らない。それだけでなく山に縁もゆかりもない。平地の人だ。まあそれでも、海よりは山に近かった。親戚の家の庭が山につながっていた。しかしその親戚も田舎でしていた仕事は医者だった。周りに山がなかったということではない。山を使って生きていた人たちが周りにいなかったということだ。

山で生きる人びとにはまずどのような人たちがいるのか。

 

この本では何種類か山に生きた人びとが紹介されている。木材をとって加工して売った人。猟師。鉱山に関わる人。畑や水田を作って稲作農耕をした人。

私のような一般的な現代人で、こうした山に生きる人びとに関わりを持っている人がいるとしたら、農家または林業がほとんどなのではないだろうか。農家と林業は、私も少なくとも知っている。田舎を歩けば農家はあるし、林業の会社もある。

そうでない人たちはひとところに留まることができなかった。樹は切るとなくなってしまう。かつての山びとたちは樹を切ってものを作り、なくなったら移動したんだって。

猟師もそう。拠点はあるけど、獲物は追わなくてはいけない。鉱山もそう。いつかは涸れてしまう。こういう人たちが漂泊民、サンカとか言われていたのだね。

 

気になったところ。

サンカについて学者こそ注意の目は向けなかったとしても、民間では早くから問題にしていたのである。サンカのいるところ必ず犯罪がそこにあったからである。しかもサンカの群はきわめて多かった。奈良・大阪地方ではこの仲間をサンカともヒニンともよんでいた。(p59-60)

選挙の前くらいに話題になった長谷川豊氏の失言(?)を思い出した。それとともに、昔ヒニンと呼ばれていたのは動物を殺す仕事をしていた人びとだと思っていたので意外にも思った。一つの言葉が一つのものだけを示しているとは限らない。

漂泊民の犯罪が多いというのはヨーロッパのジプシーも思い出す。日本では定住させる取り組みが一通り終わってサンカはいなくなったということでいいんだろうか。他の章には、木工品を売りに来るのを断ったら家に火を放たれたという話もあった。一度起こったら永遠に語り継がれる類の事件だね。こういう恐怖が漂泊民に対するイメージの低下をになっていたかもしれない。単純に流れ者はしがらみがないからこわいというのもあるだろう。

 

他にもいろんな気づきがあったんだけど日数が経って日記を書くやる気がなくなった。。。

 

一番書いておきたいこと。この本には日本の地名がたくさん出てくる。東北の地名はなじみがあってその部分は読書にも身が入るんだけど中部や九州だとあまりなじみがないところも多かった。そうするとどこか知らない場所のことを読んでいるような感じになってしまう。都道府県だけでなく、もっと細かく土地を知りたいなと思った。

婦人の友っていう昔ながらの雑誌がある。なんとなくこれを読んでみたら読者投稿コーナーの投稿者名のあとに()で地域が書かれているんだけど、これが県だけでなく市か町かで書かれている。烏原兎子(埼玉)じゃなくて烏原兎子(熊谷)みたいな感じで書いてあるの。

もっと日本の地理、地方の土地を知ってもいいんじゃない? と自分に対して思うのでした。

 

だから地方出身の人には都道府県名だけじゃなくて住んでいた町の名前詳しく教えてもらいたいなっ。秋田の人どうしで出会うと(秋田の)どこ? って話になるけど、それを秋田以外の人ともしたい。ちなみに私は秋田市ですごくつまらない。秋田市の中でも特につまらないところです。