LoRプレイ日記 その1

前置き

久しぶりにブログに帰ってきた。最近はまっているデジタルカードゲーム、レジェンドオブルーンテラのプレイ日記を書くために。

この日記はレジェンドオブルーンテラについて知らない人には意味不明の内容です。

 

オープンβテストからプレイしているが、もともとゲーム自体好きだけど雑魚なので、なかなか上に行けない。しかし、どうも、私が使っているデッキが弱すぎるとか、私が正しいプレイングを理解していないとか、そういうところに勝てない要因があるわけではないような気がし始めた。それというのも、5連勝くらいの経験は複数あるのに、1回負けるとそのまま10連敗したりするからだ。勝ったり負けたりじゃなくて、1回負けモードに入るともう絶対勝てなくなる。なのに「やめどきだ」と思うことができない。

これは多分にメンタルの問題が大きいと思うので、1戦するごとに日記をつけて気持ちを切り替えることにした。いたずらに時間を費やすよりこっちの方が建設的だと思った。雑にプレイし続けるだけだと、勝てもしないし、メンタルはすり減っていくし、時間はどんどん失われる。時間の無駄なだけだ。

というわけでメモ帳に日記をつけ始めたので、キリがいいところで区切ってここにも共有します。ただ中身は推敲などあまりしていません。もう少し人間として余裕ができたら読み物として楽しくなるようにかけたらいいなあと思います。

1日目 プラチナ2 LP0から日記をつけ始める

デッキについて

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お気に入りのフィズちゃんデッキ

デッキは全部じゃないけど色々試してみた。オリジナルも丸々コピーも。その中で一番強い、とは思わないけど一番勝てる、自分にあっている、と思って最近研究したり練習したりしているのがフィズを使ったイルーシブビートダウン。

爆発力があり、対応力もある(と思っている)のがお気に入りの理由。

デッキへの気持ちは、また別の機会に綴りたいと思う。個人的なおしゃれポイントは急襲。これによって地上ユニットも含めて能動的に殴りに行けるようになり、イルーシブのブロッカーが出てきても攻撃の手を緩める必要もなくなり、1マナと軽いのでフィズの能力を使うのにも便利。

昨日から盗品を入れてみている。

1 エズリアル カルマ 

勝ち

後手、2ラウンド目にフィズを出す。すぐに撃たれたサーモジェニックビームを鉛の忠告で打ち消したところ、対戦相手が投了。
エズリアル・カルマ相手は、最序盤の除去をしのぐことが最重要って感じがする。除去をかわせないなら、ユニットはプレイしない。

2 チャンピオンなしのアイオニア・フレヨルド

勝ち
基本はこちらと同じようなイルーシブビートダウンで、フレヨルドのスペルでパラメーターを一気に上げていきなり倒すデッキっぽい。
除去が単体リコールのデッキには、フィズは強い。あと、サイズを一気に大きくする戦法にも、こちらのアイオニアの意志が刺さる。相性良くて勝てたかも。わからん殺しできそうなデッキだった。

3 ハイマー ヴァイ

勝ち
序盤はやはりサーモジェニックビームをめぐる攻防。急襲がこれを制す。1マナ便利。
今回の相手ならは孤高の僧を採用していた。あまり詳しくないけど珍しい気がする。体力3のイルーシブは厄介なので、犠牲を払っても打ち取る。というか、一体は打ち取らせて、ほかの細かいのを通す。コンバット苦手だけど、これならできる。
ハイマーは本当に苦手だけど、今回は超エキサイティン!に拒絶を合わせられたりしてフロアリムーバーの出現を最小限に抑えられた。と思う。相手が孤高の僧を使ってスペルを使ってこなかったのと、運良く拒絶が使えたのが勝因か。
ヴァイは無視。

4 フィオラ ラックス シャドウアイル

勝ち
2色目がシャドウアイル。3/2ライフスティール君や、蜘蛛を出すスペル、蝕む嘆きなど。
盗品で奪ったカードが軒並み活躍してくれる。特に孤軍は強かった。収監はまあまあだったが時間稼ぎには大いに役立ってくれた。ラックスは登場せず。

5 セジュアニ フォーチュン

勝ち
1点をばらまく非常に苦手なタイプのデッキ。こちらはユニットを展開せず大事に守ることが要。……だと思う。
今回もグリーングレイドの二人組×2、フィズ、と並べたところで残炎の乙女をプレイされ、あ〜そうなんだよなあ〜と一瞬くじけそうになったが、フィズだけポケットエースで守る。その後も体力回復目的で双の行を使うなど、普通に考えたらかなりもったいないんだけど、とにかくフィズを死なせない方向で行った結果の勝ち。
セジュアニが出る前に勝つのが重要な気がする。今回は殴り切った形。


なんとか5連勝でプラチナ1。

長くなるのでここまで。勝ってるところで区切った。

 

休憩

ひといきです。

 

体調を崩したり生活リズムが乱れたりして、自分に課している日課の達成状況がボロボロになっちゃった。日記をいつから書いてないかわかんない。でもこれから書くつもり。あまり毎日を丁寧に生きるのが得意じゃないから、毎日の仕事はあらかじめ決めておかないと、すぐに月日が経ってしまう。

なんども書いているけど碇を下ろす行為だから。ブログもこんな愚にもつかないことしか書けない日でも、なるべく書いたほうがいいと思って書いている。リズムをつけることになると思っている。自分でも不器用だなと思うけど。決めたことがうまく回せていないときは少し見直す時間をとったほうがよさそうだ。

 

そんな感じで明日漢検受けにいきます。落ちそう〜。

ちょっとへとへと日記

※今日の日記はぽんぽんぺいんの話を多分に含みます。

 

いろいろへとへとなことが続いて疲れました。

ふー。

へとへとなことのひとつが自分の体調不良。

 

自分の体で気になるところが二つある。

 

まず、おなかが弱い。

大好きな牛乳を飲む量を減らすことで、突然おなかがゴロゴロとなってしまうことはだいぶ少なくなった。牛乳大好き人間だったころはしょっちゅうげりぴしていたぜ。まあそれは実際日常茶飯事みたいな感じだったからそこまででもなかった。

でも、胃腸炎? みたいになってしまうことが多くてつらい。下痢と嘔吐ですね。熱が出たりもする。汗をかいて、呼吸が苦しくなって、目の前が暗くなって……副交感神経のスイッチべた押してきな……そういうやつです。食あたりっぽいけど、あんまり原因わからないことが多い。そういうのにめっちゃなりやすい。1年に1回はやってる気がする。

お酒もおなかにダメージでかい。酔って吐く人はどこにでもいるけどあんまり酔っておなか壊す人の話聞いたことないような気がします、どうだろ?

 

次、熱が出やすい。

今までこんなこと全然なかったんだけど、子供が生まれた後くらいから増えました。咳も鼻水も出ないので風邪じゃないと思うんだけど、熱が上がる。38.5は超える。何よりもしんどいのが脚の骨が全部痛くなること。転げまわる。1~2日でよくなることが多いけど、なんなんですかね? ほんと。去年の夏は3日以上倒れてた気がする。

大学生のころ、1回これで病院行ったらけっこうしんどい病気だったことがあるので熱全然下がらない人は注意ですよお

 

今回も胃腸炎からの熱コンボで終わってたんだけど、インフルエンザは陰性でした。ほんと熱の原因はとっても謎です。食あたりかな。やっぱ。

すぐ隣の国の言葉

日本のすぐ隣の国といえば、中国、韓国、北朝鮮。あとロシア(東北出身者並みの感想)。最近は街中でも中国語やハングルを見かけることが多くなってきた。さっきもドラッグストアで中国語の表示があった。マスクは1家庭1個まででお願いします的な意味だと思う。なんか読めるよね。意味とか雰囲気でわかる。

でもハングルはぜんぜん読めない。感覚で言えば線文字Aとかヒエログリフに近いくらい読めない。一番近い国の言葉であるはずなのだが……。まだラテン語のほうが意味わかるまである。なんならギリシャ語でもまだわかる。

中国語は前からよく見たけど、ハングルはけっこう、最近増えてきてるのかなって印象がある。

最近の若い人の間では(私も若いつもりなんですけど……)英語よりハングルのほうがかっこいいというか、流行っているんですって。と聞いたことがある。アイドルとか流行っているもんね。

韓国のアイドル(男の子)はちょっと見たことがありますが、MVとか確かにかっこいいもんね。若いし。日本のアイドル界をおじたちが席巻しているのでなおさら……。(いや……すのーまんとかすとーんずのデビューで盛り上がる世界も私の目にはちゃんと映っているけど!)

で、昔から名前をローマ字で表記したりするのは見栄えのためにやってたと思いますが、最近はハングルで名前を書く人も多い雰囲気。twitterとか見てると思う。

私には読めないので、なんだかそれが奇妙に見えてしまったりするのだけど、どうしてこんなに近いのに遠いんだろうっていうのも不思議なことだ。

だから、ちょっとだけお勉強してみたいな……って気持ちになっている。すぐ隣の国だし。流行りもあるし。アートはかっこいいし。映画とか音楽とか。日本と韓国の間は、よくいざこざが起こっていて、政治家にはときどきうんざりすることもあるけれど、だからこそ少しは理解を深めてもいいのかなと思うし。

そんなわけでちまちま学習アプリで読みの勉強してみていたりします。ハングルって全部ひらがなみたいなもんなんかな……? 長文とか読みづらくないのかな……。昔出会った日本語に堪能な韓国人の方が、日本に留学するとき初めて自分の名前の漢字表記を知ったと話していたのをぼんやり思い出す。

でもまず週末の漢検の勉強をしろ。

感想書く前に本返しちゃった

 

karasuandusagi.hatenablog.jp

 

先日の絵本読み合い研究の本のこと。細かいところはおいておいてなんかメモをのこしておこっと。

 

しばしば「育児書なんてそれぞれに別のことが書いてあるし、読む必要はない」ということを聞く。それは「育児に正解はない(から多少、失敗したかなと思ってもくよくよしないでがんばろうよ)」というポジティブな文脈で語られる。

私はそれに「うんうん」と賛同しつつも、ふたつのことが気にかかっていた。

まずここで語られる「育児書」とはどういう類のものなのか。こんな普通のかあちゃんが息子を全員東大に入れました〜! とか、子供を医学部に入れたいのなら幼児の頃からこれをやらせろ! みたいな本は育児書だとは思わない。それはどちらかというとブログの書籍化とかに近いものだと思っている。あるいはほのぼの系ノンフィクション。少なくとも「育児」あるいは子供の発達や成長について専門的に研究している人が書いたものでなくては、知識の拡充を目的に読む価値はないのではないだろうか。と思った。

もうひとつは、本当に育児書には異なったことばかりが書かれているのだろうか。もしそうなのであれば、子供に関する研究はほとんどが失敗してきており、教育学部家政学部の類は、不要なのではないだろうか。しかし、そんなはずはない(最近揺るがされているけど、権威あるものにはそれなりの理由があることが多いって思うタイプ。。。。。)。少なくとも、何種類かの意見、言うなれば派閥というか、仮説にまとめられるのではないか、そしてそれらを知っておくことは子供を育てる親として無益ではないんじゃないか。と思った。

 

ちなみに、その方向性で行って、今までに読んだことがあるのは、

3000万語の格差 - 株式会社明石書店

のみ。これは子供が生まれる前に読みました。子供の人工内耳移植をしていた医師で、のちに子供と言葉の関係を研究する社会学者になった著者の本。子供も生まれたし時間を見つけて再読……したい……いつ……? 面白い本だったから。

あとは実家に松田道雄の本がいくつかあったのを覚えてる。

 

そういうわけでこの『絵本は赤ちゃんから』を読んだ。

サブタイトルにある「母子の」という文言は現代的でないなと思ったけど、内容を読むとこの時点では正しい名前だと思った。この本は1人の子供の追跡研究と、何人かの母親へのインタビューで構成されている。

どれを読んでも、子供と親と絵本との関係は、本当に百種百様なんだろうなあと思った。親のスタンスも、読む本も違うし子供の性格も全然違う。著者は絵本の性質や子供の反応のタイプなどを収集しているようだが、それも今目の前にいる子供を「どう育てるか」などの答えを出してくれる類のものではなさそうだなあと思ったよ。

私はずっと感じていることだけれども、やはり育児には方法論を求めるのではなくて、子供本人に向き合って、いま何をしたらいいのか(それは将来のためとか、知能発達のためとかではなくて)を判断すべきなのだろうな。というのを再確認した。

 

しかし親の中には子供と向き合うとか……わかんないよお! 大人だし! みたいな人はけっこういると思う。私は比較的子供のまま大人になってしまったタイプなので、あまりその点苦労した覚えは(今のところ)ないけど、外出て子供が泣いちゃったらGoogleで子供の泣き止ませ方調べるって人もいるみたいだから。

 

そのためのツールとして絵本が便利なのかなと思った。絵本は大人にも意味わかるし、子供にとっても、意味わからなくても少なくとも物質。視覚刺激もあるし、読んでれば親の声も聴けて、という感じでコミュニケーションツールになる。

わらべ歌とかでももちろんいいけど、わらべ歌は大人が意味をわかってない場合が増えてきたということが書かれていてなるほどと思った。世代間継承がうまくいってないと。確かにわたしおむつてんてんとか、知らない。そもそも小学生になった時点でアルプス一万尺の手遊びわからなくて友達と遊べなかったからね。そういう親が私だけじゃなくなってきててもおかしくないだろうなあ。YouTubeとかで見ても親の方に実感がないからコミュニケーションとして十分でない。

あと前回の日記にも書いたけど絵本は親が覚えてたら自分の子供時代に想いを馳せることもできる。想像力の助けになるっていうか。

 

そいで最近は「読み聞かせ」じゃなくて「読み合い」って言葉がよく使われるようになった、というのもへ〜って納得した。これからは私も「読み合い」って言おう。確かに、言って聞かせるだけではないから。

 

ほかにも首がもげるほど納得したことがいっぱいある。

最近の風潮では育児にも計測可能な「効果」を求める親が増えているとか。これは超思う、けど最近っていうのは私が生まれたくらいから始まっていたのだろうなとも思う。早期教育とか幼児教育みたいな。絵本を読むと言葉を早く覚えて勉強もできるようになるから絵本を読もう! みたいな、そういう因果関係がありそうなことしかみんなやりたがらないっていうか。脳にいいとか。発達にいいとか。そういう系の理由ばかり求める。かつなんかできないとすぐ発達障害が疑われる(いま認知と理解の過渡期なんだろうね)。

子育てに効率化は存在しないとか。やってはいけないことがはっきりしてくることや発達の過程が研究され人々に伝わることは広義の効率化なのかもしれないけど、技術発達によって生み出された時間をこれまで割けていなかった子供との時間に使うべきということなのだよね。

ほかにも色々あった気がするけど忘れた。

 

 

乱雑なメモだけど書かないよりいいし……

ここ数日具合悪かったり生活リズム崩したりでボロボロとなっていたけど持ち直していきたいです。

絵本の思い出

いま、絵本に関する本を読んでいる。

www.shin-yo-sha.co.jp

『絵本は赤ちゃんから』という本で2006年に出ている。もはや今、絵本は赤ちゃんからって早すぎない? という考える親は母さんは少なくなっているだろう。私の住む自治体でもブックスタートというのがあって絵本は赤ちゃんから読んでいいんですよ~という話があった。社会ではいろんな理解が時間とともに進んでいる。FACTFULNESSを読んだみなさまにはお分かりのことだと思うけれども。14年が経過して、「絵本は赤ちゃんから」というタイトルはやや時代遅れになりつつある。と思う。

でも私の考える、なぜ絵本を読むのか? という問いに対する回答のいくつかを補強してくれるようなことが書いてあり、なんだか心強い。もちろん正解はないんだけど、納得できるな~と思える仮説は私の意見としても採用していきたいと思うわけ。

この本を読むに至った理由などはまた後日書きたい。いろいろ考えることがあったため。

 

この本は大学教授である著者が観察研究やインタビューをもとに作った本だが、著者は一人の親でもあるので、ところどころに自身の経験なども挟み込まれている。

 

わたしは孫が絵本を読むようになったとき、和田さん(※インタビュイー)と同じように娘がとても愛着を示していた加古里子の『ことばのべんきょう1・2』(福音館書店)を、お下がりとしてそのまま送ったことがあります。すると、孫はそれほど興味を示さなかったのですが、娘のほうがとても懐かしがり、手あかの付いた絵本を何度も開いたようです。娘は自分の中の幼児期を鮮明に蘇らせつつ、自分の子どもの幼児期と付き合うというように、幼児期体験が入れ子構造になり、わが子への想像力が広がったことと思います。(p114)

 

という部分があった。私もこの前実家に帰って、自分の読んでいた絵本をいくつか出してきて持ち帰ってきた。中には自分では全然覚えていなかったのもあるんだけど……

 

www.kaiseisha.co.jp

 

この『いただきますあそび』。私はあんまり覚えていなくて、でも最後の最後のページを見て一瞬で思い出したんだよね。「おなかいっぱい いいきもち」で終わるの。

この「おなかいっぱい いいきもち」って、私は割ともう体に刻み込まれてて、現在に至るまで、おなかいっぱいおいしいもの食べたときは「おなかいっぱい いいきもち~」などと口に出すくらい自分の言葉になってしまっているのだよね。

というわけでなつかし~~~って気持ちになってたんだけど、でもこれ自分が懐かしくて楽しいだけでは? という気持ちもよぎらなかったわけではない。

 

だけど昔の絵本を引っ張り出してくるのはそれでいいのだよね。という話で、親のほうが遠い子供時代を思い出す手がかりになっているわけだから、親のために古い絵本が読まれるわけ。大人になって忘れてしまった子供時代を思い出すことで、子供の気持ちを理解する助けになると。

 

あと、どんな書物でも読み深めるという作業が可能なわけで、先に読み深めている教師がいると読解って格段にはかどるよね。そして同じ書物を読解しようとしている仲間がいるとその効果・効率って倍々ゲームみたいになってくと思う。それと同じで絵本も先に噛んでる人がいるともっと楽しく読めるのかな。とかも思う。

さらにいうと大人ってほかにも楽しいことがいっぱいあって、新しく出会った絵本(しかも子供向け……)などをじっくり読んだり理解しようとしたりする時間が取れなかったりして。その点、子供のころ読みこんだ絵本はその時間が稼げるかなーとも。

 

最近の新しい絵本はかわいいのいっぱいでほしくなるし、そういうのも楽しいのだけれども、古い絵本、時代とともに消えていかない絵本を取っておくのにもちゃんと理由がつくかなーって思いました。!

 

この本に関してはつづく。

近況報告

  • 漢字検定を受けようと思っています。来週末。間に合わない。というわけで勉強中。勉強時間を記録すると計画を立てやすいなあと思った。だが、もうすでにその段階ではない。
  • 積読本を本当に積むようにしたら何かが可視化された。
  • 環境問題まわりのことを調べたいなーと思えば思うほど誰も正解を知らない沼の深さにたじろいでしまう。一筋縄ではいかない科学の深淵だ。自然科学のみならず社会科学も巻き込んでいかないと解決できないんだなあ。だが関心がある層はあまりアカデミックではない人々が多く、検索結果はグチャグチャだし、独自研究や専門家の意見が乱立していて混沌。詐欺と宗教のマーケット。良識ある人は目を背けている感じがする。それは良識なのかどうかは皮肉でなく本当に不明だが。地球こそがラスボスだったのだなあ。
  • 都市部で生協に加入する意味、メリットが全くわからない。すすめられるがままに加入して、いま子供がいるので手数料など無なのでそのまま入っているが、まったくメリットがない。まず来週のこの日にほしいものとかわかるはずがない。都会なんでスーパーもすぐそこにあるし今日の献立はこれにしようとおもったら買いに行ったほうが早い。働いている人は便利とかいうけど本当か? そして箱ティッシュなどの安価な商品を餌に保険に加入させようなどの意図はちょっとだけむかつくけどこれは言いがかり。ごめんね。担当の人はいい人なので逆にやめづらさがある。。。
  • マスクの感染予防効果はコストを考えるとないに等しいということを大学で習ったのでそのまま信じてきたけど最近は症状がない人もマスクをしましょうということになってるんですね。知識のアップデート、完了! していない。勉強が足りない。大学のときはあんまり興味なかった費用効果分析みたいなやつに卒業してから興味出てきたなあ。世界を変えるのは物質や技術の発見もあるけど方法の発見もある。方法を発見するほうが1回の寄与はでかい気がする。もちろんどちらかに限らなくてはいけないいわれはないのだけれども。
  • アイドリッシュセブンの楽曲がサブスク解放されたらしいので聴いてみてください。先月発売したばかりのRe-raiseも聴けます。