倒れる

うちのこどもはよく外で倒れる。それは具合が悪くて倒れているのではなく、何か気に入らないことがあったりしたときに、抗議の表明として倒れたりするのだ。あるいは単に大地の暖かさを感じたかったり(?)、広いところにきたので寝転がってみたかったり(?)、真意はわからないことも多い。座り込んでそのまま上体を倒したり、膝をついて前に倒れたりとフォームはさまざま。

周りに聞いても、「子供 外で倒れる」とかで検索してもあまり出てこない。こどもあるあるしぐさというわけではなさそう。だが私にはなんとなく見覚えがあり微笑ましく思えるしぐさなのだ。弟が小さいころよく倒れていた。

弟は小学生になっても駅で一人で帰宅中に倒れていたりしたようだが、母に聞くと、私は倒れなかったそうだ。こういうのって、どこで習得するのだろうか。

もちろん周りに倒れる人はいないので、大人を真似しているとは言えない……が、ベッドに倒れたりはしている。何か関係あるかな? あるいは、私の両親のどちらかから受け継がれ、私の弟では発現し、私では発現しなかった、なんらかの遺伝子的な要因?

どちらにせよ個性的でおもしろいなーと思って見ている。いつどこでそういうことをしようと思ったのかな、と考えると、よりいっそうおもしろい。子供は未知。

男女平等の話

現状はまだお母さんが家事を担当して、子供の世話をしている家庭が多いと思う。でもその役割分担は歴史的に男性側から押し付けられてきたものだ、というのがフェミニストの主張だと理解している。勉強不足なので、あまり断定的に書けない。男女の平等を目指すなら、そういう役割分担の決めつけはするべきではない、ということ。

私は、男女は平等であった方がいいと思っている。こどもが性別によって不利益を被ったりする社会は嫌だ。私は言われなければ気づかない程度に性別による不利益を被ってきた。思い返せばあれもこれも……という感じだ。多くの女性は言われなければ気づかないだろう。

たぶん世の中の家事や子供の世話を主に担当している女性は自分が気づかないままに担当している場合が多いんじゃないだろうか。子供好きだし、可愛いしみたいな。家事とか私がやった方が早いとか。男親も子供好きだし、可愛いと思うんですよ。普通に考えたら。家事も好きな人は好きだし。

善良な人々によって偏った社会が運営されているのが現実だと思う。実際には夜遅くまで働いているパパとかも、好きで仕事にまみれ家事や子供を後回しにしているわけではないことが多いんじゃないかな。あとは子供の頃専業のママがなんでもやってくれたことが子供時代の記憶として体に染み付いてるとか。全部、善良な人々が気づかないままに運営してきた偏った社会のせい。だから気づいた人がこまかいところを気にしてくれるだけで少しずつ偏りは平かになってくれるのではないかな。私も引き続き気にしていきます。私はもう少し仕事も増やした方がいい。がんばって……がんばってはいる。。

家庭・こどもの安全対策

幼児の誤飲に注意というのは散々聞かされる話。うちのこどもは、なんでも口に入れるというようなことはなくなった……ように一見おもわれる。サイコロでよく遊んでいるが口には入れない。だが全く油断できないことを私は知っている。

小学校低学年のころだった(と思う。下手したらもっと大きかったかもしれない)。私は、何かの組み立て式おもちゃについていたと思われる、プラスチックのビスを前にしていた。押しピンかキノコのような形をしており、青色で、頭と短い差し込み部があって、差し込み部は中空だった。自宅の洗面所でよく晴れた午後だった。私はこれを鼻の穴に入れたら面白いような気がして、入れたのである。

鼻息でポーン! って飛んだら面白いだろうなと思った。だが、飛ばなかった。鼻穴ひとつ塞がっているので、指も当然入れられない。ビスは取れなくなった。

そのときの感情をはっきり覚えている。恥ずかしいと思った。こんなところを家族に見つかったら絶対恥ずかしいと思った。もう幼児じゃないのにみたいな風に思ったことも覚えている。

その後鼻息をがんばって出したり、上から押したり悪戦苦闘して、誰にも見つからずにビスを出すことができた。

そのとき、私は、人は刹那の思いつきで、馬鹿なことをしてしまうんだな。と知った。

 

子供はなんでもする。上記のようにやってしまって学ぶこともある。だが取り返しのつかないことをしてしまうこともある。本当に危険なものを飲み込んでしまうのは間違っても起きないようにしたい。

でも、全ての誤飲事例を事前に防止するのは、無理だと思う。子供から全てをとりあげれば、安全は担保されるかもしれないが、それによって学べたはずの数多の経験を取り上げることになってしまう。

家族にできるのは、何か起こったとき、すぐ気づいて対応すること。だと思いました。

おしまい。twitterとかみて思ったことでした。

過去の名作

これは押さえておけ! という作品があると思う。一方でそうはならない作品もある。私はロボットアニメって全然興味がわかないのでガンダムエヴァも未履修なんだけど、天空のエスカフローネは好き。ガンダムエヴァは必修だと思うけど天空のエスカフローネはそうではないと思う。個人の感想。人々の語る言葉を聞く限りそんな印象がする。そうして私はロボットアニメ科を落第した。

ロボットアニメに一家言あるという人がガンダムエヴァも見ていなかったらどうなんでしょう? 私はわからないがその人の言うことの信憑性落ちるんじゃないだろうか。

こうして時が経過していくと、必修のコンテンツってどんどん増えていくんだろうと思うんだよね。え! そのジャンルについて語るのにそれ観てないの? 読んでないの? みたいなやつ。

後世の若者のことを思うとつらいきもちだ。

過去の名作をさっさと過去にして、もう省みる価値もない……一部のオタクや学者は無間の闇に突入していってもいいんだろうかど……と思わせるくらいの新作がどんどん作られていかないと評論ピープルになるのがどんどん難しくなり、評論の質も上がりにくくなるのではないか。

私は自分が過去の名作を履修しきれないので、後世の若者にかこつけてこんなことを嘆いています。

調理本の効能

日記を書きたい気持ちはあります。続けられるようにがんばります。

 

最近、藤井恵先生のレシピ本を読みながら料理をしている。『からだが喜ぶ!藤井恵のおうちごはん・藤井恵 (著) - 世界文化社』という本だ(リンク先は出版社ページ)。もともと胃腸は弱いが、最近ことさらに弱さを感じることがあり、慢性的な具合悪い感を覚えることも多かった。食生活は改善していきたい……という思いは、以前からあった。この本を買ったのはだいぶまえのことである。あまり活用できていなかったが、最近また使い始めた。

 

私はどちらかというと適当料理の民。工程の少ないレシピを好んでいる。他にヘビーユーズしている料理本には、はらぺこグリズリー先生の『世界一美味しい手抜きごはん』などがある。これでもときどき「面倒だな……」って思うことがあるくらい。基本的には、鶏肉に塩を振ってフライパンに入れ、そのとき手に入った野菜を入れて、酒で煮るという料理ばかり作っている。魚の切り身を使うこともある。

それに、野菜があまり好きじゃない。包丁を使ったりしなくてはいけないからだ。からだにやさしいレシピはやはり野菜とかいっぱい入っているのだ。それがなかなか面倒であまりこの藤井先生のレシピも作っていなかった。

 

だが、一念発起して、ちゃんとレシピ通りに作ってみよう。ということを始めた。

そうしたらおいしいのである。当たり前かな?

今まで作っていた料理も変なものを入れていたわけではないし、塩は間違いのない量を覚えて(1kgにつき小さじ1だょ)はかって振っていたので、別にまずかったわけではないのだが、なんだかちゃんとした味がする。これがプロの家庭料理なのだなあと思った。

さらに! これがすごいと思ったのだが、こどもが残さずごはんを食べる。

私は適当なので、こどもでも食べられそうな大人料理を作って、取り分けている。つまり子供用にごはんを別に作ったりはしていないのだ。それで大体は食べてくれていたし、途中で飽きて? 投げ出されることも最近は増えていたが、これからもわざわざ分ける必要はないかなと考えていた。

しかし、藤井先生のレシピで作ったごはんはペロリと食べてくれるのだ。嫌いだと思っていたほうれん草であろうと。たぶん今まで私が作っていたごはんは、食べられないこともないけど、そんなにおいしくなかったんだろうな。

 

わかったこと:

ちゃんとおいしいレシピは子供も残さず食べる。

 

からだへのやさしさについては、まだよくわからない……痩せるかな? お通じはよくなっている気がする。肌荒れがよくなるといいなあ。

 

それと、この本を買ったときのブログ(前掲)にも書いたのだが、レシピは本の形で見えることに意義があると感じている。やっぱり、パラパラめくれることに意味がある。webは進化しているし、私も電子書籍に前よりはより親しむようになったとはいえ、横断的に見るのにはやっぱり本の形が向いている。

まだ作っていないレシピもたくさん載っているので、もっと色々作って体質改善も狙っていきたいな〜。

推してない

現代は推しを持つことが流行っているよね。私は最初いまいちよく理解できていなくて2次元の好きなキャラとか好きなミュージシャンのことを時勢にのったつもりで推しと表現していたんだけど別に推していないことに気づいた。

推しに関する研究や文学はけっこう始まっていて発達を続けている認識はあるんだけど私はそれにも全然乗れていないので(勉強不足のため)あまりはっきり言えません。文藝秋号の巻頭作品は読みました! 全然勉強足りていないなということを実感した読書体験だった。

でも好きなもののこと全然推してない。推すというのはもともとアイドルのオタクが使っていた言葉なのかな? よくわかんないんだけど字だけ見てその意味も全然わからないんだけど(推薦? おすすめ? 的なのとは半分違う気がする)推しという概念は私の感情に適合していない気がする。

好きなミュージシャンのこと「3次元の推し」って言ったことあるけれども、すぐ違和感が襲ってきて「推してないけど」と言わずにはいられなかった。その人の曲を他人に聴かせたい! 有名になってほしい! みたいな感情は皆無。これは推薦の意味の推すか?

大好きな、2次元アイドルの例の2人組のことは「推して」いたかもしれない。とにかく金を使っていた。今はそういうのじゃなく、とにかく彼らのことは現在進行形でめちゃくちゃ好きなのだが、推してはいないと思う。金を使いまくったり、CDたくさん買ったり、グッズを集めまくったり、そういう行動が推す、のような気がする。

全て感覚派の意見です。

流行っているからって無理に言葉を使おうとしなくてもいいなって思いました。

床を拭くか

今日の日記は少し汚いです(掃除的な意味で)。

 

私は部屋の掃除というものを誰からも教わらなかったので、ずっと汚部屋の住人だった。長い髪の毛がフローリングの床にぎっしり落ちているのは、今思うと考えられないが、私にとっては当たり前の光景であり、あまり気にもとめていなかった。昔の話です。時々母が私の部屋にも掃除機をかけてくれたのでなんとか耐えていた。

掃除について真剣に思いを巡らすきっかけとなったのは、上京してから3年後、引っ越した先のマンションに入居前から虫が住み着いていたことではないかと振り返る。入居して、引っ越すまでに数日ラグがあり、先に荷物を運んだときにそれは現れたのだ。私はそれまでGを見たことがなかった。だから最初は何かわからなかった。その後私は夜道で彼らを発見する達人にまでなったのだが……。

しかし家、きれいに保とう、という決意にもかかわらず、家はすぐ乱れた。同じく掃除など風呂以外はしたことなかったであろう兄弟との二人暮らしというのも災いしたかもしれない。掃除機はあったがまず床がすぐ物で埋まるのでほとんどかけられなかった。私はガラクタを集めては順番に並べていくような人間だったのだ。

そして掃除機をかけられても髪の毛が全然吸い取れないし、たまったゴミを捨てなきゃいけないし、たくさんのことがうまくいかなかったので、結局ほうきとちりとりを買った。この伝統的ペアの使い方なら知っていた。学校ではこれを使っていたので。それでもやはり床が埋まるのでろくに使えていなかった。部屋の掃除がうまくいかないせいか、それとも既にマンション全体が彼らの住処になっていたせいかは定かではないが、多分後者で(なぜなら掃除が下手でもそれまでは上がり込まれたことなどなかったのだ)、Gは幾度となく出没した。殺し方は覚えた。第3の床掃除道具、クイックルワイパーで垂直にプレスするのだ。実際怖くてほとんど兄弟に任せていたけれども。

クイックルワイパーは髪の毛を取るにはかなり有効だった。しかしシートはすぐダメになるし、値段が高い。安いものはそれなりの性能しかなかった。結局手でシートを広げて包み込むようなことに……。

 

こんな調子だからルンバの話を聞いても、そんなものが有効に作用する家があるということすら信じられなかった。拭き掃除もやってくれるブラーバというのも登場したが、一般家庭で拭き掃除をしているということが理解できなかった。

さらに時は流れ、私は結婚して引越し、ミニマリストとかシンプリストとか断捨離とかこんまりとかそういう人たちからの世直し電波をキャッチし、ガラクタを少しずつ減らすことで床を得られるようになってきた。しかしそれでもなかなか掃除機をかけるのは難しかった。少しでも床に物が置いてあると掃除機は格段にかけづらくなる。

妊娠すると、助産師さんから、お腹が大きくなってきたら拭き掃除をがんばるといいですよ、と聞いた。体勢的にも少し楽になるし、運動にもなり、床で転がることが多い赤ちゃんのために家を清潔に保つことでお迎えする準備にもつながると。ああ、やっぱり一般家庭でも拭き掃除ってするんだ……。私はそう思った。

 

さらにさらに時は流れ、そういう感じだったから、私はこどもが食事をあたりに散らかしたり、おしっこやうんちを漏らしちゃったりすると、感謝の気持ちすら覚える。そういうものは拭かないわけにはいかないのだ。私は食べ物や飲み物を所構わずこぼしたりすることはなかったけれども、こどもは何も配慮しない。こどもが床を汚すたびに、拭き掃除のきっかけをくれてありがとう、と思いながらせっせと拭く。ついでに周りのところもね。

汚されないために、また怪我をさせないために、床に物を置くこともだいぶ減った。しまっても出してこられるので完璧にはいかないけれども。なんと言っても床にカバンなんて置いておいたら、財布を出されて万札で遊ぶのが子供なので。

そうして私は今、世の中の人に比べて優れてるとはいえないかもしれないけど、昔に比べたらだいぶ、掃除ができる大人になっている。子供は親を育ててくれるのだなあ。しみじみ。

だから自分は掃除ができない……一生汚部屋の住人なんだ……親に豚小屋呼ばわりされて悲しい(私はよく言われていました)……みたいな人もあまり悲観しないでほしい。子供でなくとも、ペットとかもありうる。また同居汚し存在以外にもきっかけはなんでもありうると思う。今この時点でできないから永遠にできないというわけではないということです。掃除以外もそうです。

いい話風でまとめました。明日も床を拭くことになるだろう。

 

ところで髪の毛の上手な掃除方法はまだわからない。なるべく見つけたら掃除機で吸うことと拭き掃除のときに回収することかなと思ってやっている。ティッシュとか古布とか使って手でスイープするのが結局一番効率いい気がしています。